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創業者からのバトン

 新「大交易時代」見据えて

株式会社 沖縄物産企業連合
代表取締役社長 羽地 朝昭

​企画・制作 沖縄タイムス社営業局

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 当社は2001年に創立し、昨年20周年を迎えました。当社の起源は、創業者(初代社長)の宮城弘岩(現取締役会長)が代表取締役専務を務めていた沖縄県物産公社にあります。政治の大きな波に翻弄されて、役員4人を含む11人の立ち上げメンバーで設立しました。

 創業理念を「『沖縄の物産』を産業化し、物産交易を通じて『沖縄の自立経済』を実現していく」「その経済活動を通して、平和で心豊かな沖縄を将来にわたって作りあげていく」とし、直営店「沖縄宝島」の展開(県外8店舗・県内2店舗)、県外量販店及び生協、沖縄フェア開催、ネット販売などに注力してきました。

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創業20周年記念誌を手に笑顔の創業者の宮城弘岩会長と羽地朝昭社長(写真左から)

■「沖縄発本土行き」の衝撃

 創業者は、強烈なインパクトを与えたキャッチフレーズ「沖縄発本土行き」を掲げたカリスマです。国際ビジネスマンとして活躍中に西銘順治知事からスカウトされて沖縄へ帰り、県工連専務理事、県物産公社を創業し専務に就き、県商工労働部長を経て、沖縄の物産に対する人々の価値観をプラスに転換してみせました。それまで沖縄の物産は県民ですら「しまーぐわぁー」と自嘲していましたが、アンテナショップを出店した銀座でゴーヤーの販売をまず大成功させ「まさか銀座で!」と、沖縄の生産者たちを驚かせました。それをきっかけに生産者たちは自信と誇りを持ち、「沖縄発本土行き」の商品づくりに取り組みました。

 創業者は「物産は、文化をベースにしないと通用しない」という信念を持ち、独自の仮説設定法に基づいて、あえて、お客様の見識が高い銀座を販売拠点に選んだのです。銀座は「全国・沖縄ブランド」の産業化の出発点になりました。

 創業者は、当社設立後も未来を科学し、販路を開拓していきました。アジア進出に向けて中国広州市及び台湾営業所も開所しました。沖縄ブームでは、健康・長寿・スローライフをキーワードに売り上げを伸ばし、当社は飛躍的に成長を遂げました。設立3年目には、神戸市の誘致を受けて、全国最大級の沖縄物産館(琉球ワールド沖縄宝島)を震災地に開店し、元気づけました。4年目には、業界初の百貨店テナント出店(沖縄宝島新宿京王店)も果たしました。

 またトップセールスマンの山城加寿が2代目社長に就いた際、農業にも進出し、単なる卸売だけではなく、農業生産者と一体となった取り組み(久米島生産者組合「赤土の会」設立、豆苗工場「沖縄村上農園」設立)も精力的に始めました。

■従業員ファーストで再興

 

 多角的な事業の試みが軌道にのってきた矢先、2013年、山城の逝去により私が3代目社長に就任しました。当時は、急激な成長とは裏腹に人材育成が追いつかず、沖縄ブーム後は次第に赤字が膨らみ、離職者も増えていました。そこで、経営方針に「従業員ファースト」を掲げ、働きやすい環境づくりと人材育成に尽力しました。コロナ禍では「だれも解雇しない!」と宣言して安心してもらい、社員も応えてくれて売上などの実績に表れました。また財務改革として資本金(1億円)減資に取り組み、株主様のご支援とご協力を得ることで累積赤字を解消し、基盤強化を実現することができました。加えて創業以来、初の株主配当を行いました。

 当社の「創業者からのバトン」は前述の創業理念ですが、沖縄に限らず全国や世界の物産を取り扱う会社になっていく兆しも見えています。いずれ「大交易時代」の物流スタイルに近づくかもしれません。ウチナーンチュとしてアイデンティティに刻まれている思いを形にしていけたらいいな、と思っています。(談)

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「沖縄の産業まつり」に初参加。プライベートブランド商品を販売=2011年、那覇市奥武山

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​© 沖縄タイムス
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