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県民の食を支えて72年。
安心・安全・安定供給の精神、次代へ

沖縄食糧株式会社
代表取締役社長 中村 徹

​企画・制作 沖縄タイムス社営業局

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 わが社は戦後の1950年、食糧事情が厳しい中、沖縄経済の自主性の確立と、食の安定供給を目的に、米軍政府の食糧配給機構が民営移管される形で設立されました。当初の業務は、食糧の無償配給でした。

 初代社長・竹内和三郎は、創立総会で「わが社は株式組織による営利会社ではありますが、他の一般の営利会社と異なり、食生活における面で民衆の福祉に重大な責任を持つ公益性を持つ会社であります」と述べました。食生活における重大な責任を強調したのです。

 竹内が国際的に品不足の中、同胞の飢餓感を満たすためにタイ・ビルマ(ミャンマー)へ自ら出向き、苦労の末、5万トンの買い付けに成功したのも、その使命感の表れでした。

 その志を70年余、わが社は一途に貫き、コメの「安心・安全・安定供給」を使命として参りました。

 

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創業者・竹内和三郎氏が株主を前に「民衆の福祉に重点を置く」と説いた創立総会=1950年12月16日

■小売り自由化をめぐる「コメの本土復帰」秘話

 

 本土復帰も試練でした。なにより大きな壁は、コメの生産・流通・販売を国が一元管理する食糧管理法への移行でした。わが社も指定輸入業者から政府米卸業者へ変身することになりました。

 とりわけ、米穀業界では、全国より比率的に10倍多い小売店の大幅削減が問題になりました。復帰前、コメの小売りが自由だったからです。

 当時、専務の古堅雄教(第4代社長)は業界でリーダーシップを発揮し、国に対して食管法の流通統制がもはや意味をなさない現状を指摘しながら、沖縄の消費者が近所で購入できる便利な流通制度を維持し、小売店の生活を守るために粘り強く交渉しました。その結果、国は88年、現状の制度を特例的に認めました。こうして沖縄のコメ制度は、16年遅れで本土復帰を果たしたのです。

 食管法は95年に廃止となり、コメの自由化が加速しました。古堅は生前、こう言っていました。「最終的には、本土のほうが沖縄化した」と。

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海外から仕入れたコメを倉庫に保管する沖縄食糧の社員ら=1955年ごろ

■先達の功を忘れず「100年企業」へ誇りを継ぐ

 

 その後もわが社は創業の精神である「安心・安全・安定供給」を継承し、おいしさや機能性を追求して参りました。その中で先進の精米設備及び検査機器を全国に先駆けて導入し、製造・検査態勢の向上を図ってきました。それにより消費者の皆様から信頼を得ていると自負しております。

 私が第7代社長に就任してからも、精米HACCPの推進、無洗米によるSDGsの取り組み、産地から沖縄までの玄米一貫輸送、新工場建設などに取り組んでいます。

 さらに生産量が少ない沖縄では県外産のコメを多く消費しており、全国の産地で不作等の問題が発生した場合でも、県民へ安定供給を図るため、コメの仕入先を増やしました。

 課題は、コメを中心とした食育です。今後、コメの消費拡大のため、県民に喜んでいただける様々な提案をさせていただきます。

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創業者・竹内和三郎氏の銅像と中村徹・代表取締役社長

 わが社はこれからも、消費者の皆様が安心して笑顔でいられる商品を提供し「100年企業」に向けて沖食ブランドの強化を図ってまいります。創業の精神を忘れず、グループの役職員一人一人が誇りを持って「安心・安全・安定供給」のバトンを次世代へリレーしてまいります。(談)

沖縄食糧株式会社とは

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