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創業者からのバトン

 100年企業へ誇り継ぐ

株式会社琉球保安警備隊
代表取締役社長 宮里 和政

​企画・制作 沖縄タイムス社営業局

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 当社は沖縄初の地場産業の警備会社として1969年11月1日に法人設立し、満53年を迎えました。創業者の皆さんは、「特警隊」(米軍施設を警備した特別警備隊)の実務経験者有志です。社名に「隊」が付く警備会社は、全国で唯一でしょう。創業者たちは、「特警隊」での貴重な経験を生かして「県民の皆様の生命と財産を守る」という使命を、「隊」が付く社名に込めました。そんな社名を、当社は誇りとしています。 
 設立当初の業務は、復帰前だったこともあり、外資系企業、大手ゼネコン建設会社や関連企業、大手石油会社の警備を主に担いました。労働組合が活発な時代で、労使交渉など緊迫した場面にも立ち合いました。 

■先駆けて「機械警備」導入

 私は創立2年後の1970年に入社し、1990年に8代目の社長に就任しました。 
 この50年余で最も変化した警備は、警備員の監視に代わる「機械警備」です。当社は、お客様の警備コスト削減につながると予見し、1973年ごろから県内同業者に先駆けて「機械警備」の導入に取り組みました。本土メーカーと提携し、センサーで異常を察知するや、警備員が現場に急行して速やかに初期対応を取るシステムを構築しました。現在は、施設やオフィスにとどまらず、個人住宅にまで普及し、当社の主力事業になっています。 
 その技術は進化を続け、県内大手企業、金融機関、大手ショッピングセンターなどの「施設警備」要員を補うほどになっています。現在、保安警備業は人手不足に悩まされていますが、近い将来、AI化・ロボット化による「機械警備」の技術革新の時代になると予想しています。 

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社屋前で敬礼する宮里社長ら=宜野湾市伊佐・1970年頃

 ちなみに、当社のエポックを振り返りますと、在沖米国総領事館(1974年から19年間)、若夏国体、沖縄国際海洋博覧会などの「施設警備」、沖縄サミット、世界のウチナーンチュ大会、沖縄国際映画祭、普天満宮、沖縄全島エイサー祭り、那覇まつりなどの「イベント警備」などが挙げられます。お客様の多様なニーズに応えてまいりました。

■地場産業の一員にこだわる

 

 当社は、創立50周年に向けた経営5カ年計画(チャレンジ50)で、「集大成」の第50期に売上目標を過去最高額で達成しました。 
 しかし、草創期、経営難に陥り、本土大手企業へ吸収された時期がありました。それでも「地元の人間が地元で産業を育成しなくては」と覚悟を決め、苦しい経営のなかで経営権を買い戻しました。地場産業の一員として地域に貢献したかったからです。そのような体験などを基に、経営で大切にしている当社の社訓があります(下記)。 
 また、業務に邁進する中で、警備業の健全な発展と業界の指導育成に尽力したとして、令和4年6月に、警察庁長官・(一社)全国警備業協会会長より連名で功労者表彰を受けました。

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創立53周年式典での集合写真=沖縄市本社 

 当社の5大精神「機敏・規律・責任・奉仕・正義感」をモットーに「常に基本に立ち返れ」を肝に銘じ、100年企業に向けて、誇りとともに、それらのバトンを後継者たちへしっかり手渡してまいります。 
 今後の経営は、時代の変化を受け止め、柔軟かつスピード感を持って対応することが不可欠です。一方で、保安警備業のプロとしてプライドを持った人材を育成していくことも肝要です。働きがいのある職場づくりに取り組み、業種の地位を高め、地場産業の一員として地域社会に貢献していく所存です。(談) 

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​© 沖縄タイムス
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