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創業者からのバトン

 「ワクワクする街」実現

株式会社 福地組
代表取締役社長 福地 一仁

​企画・制作 沖縄タイムス社営業局

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 わが社は、戦後復興期の1953年に嘉手納町水釜で創業しました。創業者は私の祖父・福地鴻得(こうとく)です。豪快で愉快な人物だったそうです。もともと大工で、親分肌だった鴻得のもとに仲間たちが集まり、地域の人たちの木造住宅を建設しました。そんな鴻得に転機が訪れたのは1964年、嘉数高台公園の工事でした。背伸びをし、初めて受注した公共工事でした。資金繰りが厳しくなり、恒例の忘新年会をレストランで開けず、木工所のなかでサンシンを弾きながら皆で酒を飲んだエピソードが残っています。

 しかし、その公共工事により「あの嘉数高台公園をやった会社か」と世間の信頼を得て、わが社が成長していく転機になりました。

 

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嘉数高台前にて創業者・鴻得氏(1列目右)と職人たち

■地域への貢献 人がすべて

 

 鴻得は、現状に満足することなく常に向上心を持ち、顧客のために、社員のために尽力しました。その「地域への貢献」「人がすべて」という思いを「創業者のバトン」として受け継いだのが、私の父・裕吉でした。裕吉は、本土のゼネコンで働いていましたが、本土復帰後の1978年に2代目社長に就きました。現場の技術力を磨き、高品質の施工を可能にしていきました。戸建住宅、賃貸マンション、施設・店舗、公共事業で実績を重ね、地域から評価を得ました。

  並行して、人材育成に力を入れました。最初に取り組んだのが社員の意識改革です。品質管理、工程管理、安全管理などの概念が職人気質の社員に周知されていませんでした。そこで、ゼネコンでの経験をもとに、職人を技術者に育て直しました。

 また岡山県、千葉県、北海道などの建設会社に社員を派遣し、沖縄では経験できない勉強をさせ、その経験をわが社の経営に生かしました。

■経営者を輩出する体質に

 

 昨年(2021年)、私が3代目の社長に就きました。私は就任するとき、「良い会社にしてバトンを渡してくれてありがとう」と先代(現会長)に感謝しました。4代目にもそう思ってもらえるようにこの会社を仕上げなければ、と思っています。地域や沖縄全域に付加価値を付けたサービスを提供し、一緒に働いている仲間たちが感謝され、ありがたがられる会社にしてバトンを手渡したい。

 わが社のスローガンは「beyond the value~その先にある価値と感動」です。そこには、わが社の強みである技術力を駆使して完成した建物で終わるのではなく、その先にあるお客様が求めている価値、抱えている課題などにもアプローチし、それに合うサービスを提供し続けたいという思いを込めています。

 中長期的な視点に立てば、沖縄を日本一ワクワクする街にしたい。ワクワクするとは、お客様の多様なニーズに寄り添った商品やサービスを新たに提供していくことです。地域の暮らしの選択肢を増やしていくことです。

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本土ゼネコン会社で勤めていた頃の裕吉氏(2列目右から2人目)と仲間たち

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省エネ機能の木造住宅「ココウチ」モデルハウスの外観

 例えば、一昨年、脱炭素社会やSDGsのニーズを踏まえて、省エネ機能の木造住宅(ココウチ)事業をたちあげました。ZEH(CO2の排出を大幅に抑えた住宅)や空気清浄などの機能を付加させています。また、昨年、新会社「リノベース」を設立し、中古物件のリノベーション事業を本格化させました。わが社は今後、「ワクワクする街づくり」を具体的に実現していく事業を育てていく所存です。各事業を通じて経営視点を学べる環境を社員に提供し、経営者を輩出する体質にしていきます。わが社に限らず、沖縄が経営者を輩出する社会になれば同志が増え、さらにワクワクする街になるのでは、と思っています。(談)

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​© 沖縄タイムス
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