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 県民の4人に1人が命を落とした沖縄戦。戦後、焦土と化した古里で、何もかもを失った人々に立ち上がる力を与えた一つが、うたと踊りだった。それは今も県民の暮らしに身近であるだけでなく、世界に広がり、多くの人々の心のよりどころにもなっている。今回、琉球歴史文化の日制定を記念して沖縄県が募集した「世界の風景でかぎやで風」動画の応募者を含め、海外で沖縄の芸能文化を受け継ぎ伝えている人々を紹介し、沖縄のうたと踊りが秘めた無限の力を伝える。

​うたと踊り 無限の力

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南米の風 取り込み進化

伊集ジュリアナ・小百合さん(ブラジル)

 2018年8月、ブラジル・サンパウロ。ブラジルで広く国民に親しまれているという名曲「アザ・ブランカ(白い翼)」に乗せて、琉球舞踊が披露された。振り付けたのは、県系4世の琉舞師範、伊集ジュリアナ・小百合さん(42)=写真右。日本からブラジルへ最初の移民が到着して113年。現地の文化と沖縄の文化が合わさり、新たな魅力を得て進化した瞬間だった。
 先に現地の琉球民謡保存会が同曲を三線でアレンジした。それを聞いて「琉舞でもできるはず。この音に乗せて、やってみたい」と思った。舞台は大好評。その後も幾度となくイベントで披露している。
 心がけたのは「琉舞のアイデンティティー」を崩さないこと。「若い人たち、ブラジルの人たちが、本当の琉舞の古典に興味を持つきっかけにしたい。琉舞を通じて歴史も沖縄も知って好きになってほしい」
 伊集さんは県系人コミュニティーの中で育ち、8歳ごろから琉舞を始めた。沖縄の文化が自分の中に入っていくにしたがって「私はウチナーンチュだ」という思いも強まっていったという。現在は、平日は会社勤めをしつつ、週末に琉舞を教える。
 生徒の中には日系でないブラジル人が2人いる。日本語はまったく分からないが熱心に取り組み、伊集さんがうたや踊りに込められた意味などを伝えると興味深そうに聞いている。「琉舞が日系人だけでなく、ブラジルの人の心まで届くのがとてもうれしい」。

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多様性に彩り加える

サザンウェーブ 沖縄の唄と踊り愛好会(カナダ)

 県が募集した「世界の風景でかぎやで風動画」に、カナダから応募したのは、NPO「サザンウェーブ 沖縄の歌と踊り愛好会」。先住民族イヌイットのシンボル「イヌクシュク」の前で、同会副会長の花城正美さん(60)が、アンガマの面をつけ、カナダ国旗にデザインされている楓の葉を手に舞った。
 同会は、沖縄のうたや踊りを多くの人に伝えるとともに、多文化主義のカナダで、文化を通じて他の文化コミュニティとつながって多様性を高めたいと、昨年11月に発足した。沖縄への地縁血縁関係なく、沖縄が好きで興味があれば誰でも参加できるのが特長だ。
 9月に開催された日系祭りでは、ヒヤミカチ節を披露した。沖縄戦で荒廃した古里と、打ちひしがれた人々を奮い立たせたいと生まれた曲だ。会長の渡部真梨奈さん(31)は「沖縄の人たちが、大変なときも歌や踊りや文化でつながって乗り越えて来たことを思って披露した」と話す。生きる気力、意欲を引き出してきた沖縄文化が「コロナ禍の先のコミュニティ回復の力にもなる」と考えている。

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文化つなぎ「恩返し」

本竹絹子さん(米国)

 「先人が残した財産の伝承に携われることが、人生で一番の誇り」。米サンフランシスコ在住の本竹絹子さん(70)は、美容室を経営する傍ら、25年以上無償で琉舞を教え、エイサーグループ「沖縄エイサー島太鼓」を指導するなど、芸能を通じて沖縄文化の魅力を伝え広めている。
 与那国出身。那覇、東京と拠点を移し、33歳で渡米。その後、自分のアイデンティティーの根っこに、幼いころ母親から教わったうたや踊りがあると気付き、沖縄に通って琉球舞踊の師範に。今は「琉舞で沖縄に恩返ししたい」と考えている。「イチャリバチョーデー(行き会えば兄弟)といった言葉がとても好き。うたや踊りを通じて沖縄のチムグクルも伝えたい」。本竹さんの元に子や孫を連れてくるウチナーンチュも多く、文化をつなぐ役目は大きい。
 10月3日、久しぶりに開かれた現地のイベントで演舞した。最後のカチャーシーで、人種関係なく参加者が踊り出す姿に鳥肌が立った。「こうして沖縄の文化を肌で感じさせてあげられるのは素晴らしい」。思いを新たにしている。

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 ドレミファソラシの音階からレとラを抜いて奏でてみよう。何だか沖縄を感じるフレーズになっていることに気づくはず。
 日本の民謡や伝統音楽には、基本となる4つの音階がある。この「ドミファソシド」という音階はその1つ、琉球音階だ。この音階はインドネシア、中国・雲南省、ブータンなどにもみられ、アジアに広く分布している。
 沖縄諸島にみられる音階はほかにもある。八重山諸島の古謡、ユンタやジラバには、日本の雅楽と共通する「ドレファソラド」の律音階もある。

復興支え 今も暮らしの中に

 戦争が終わった1945年のクリスマス。県内各地の捕虜収容所から集められた芸能家によって、戦後初めて組踊が上演された。演目は「花売の縁」。石川市(現うるま市)の城前小学校で、校庭にドラム缶を並べて板を敷き、背景に幕を張っただけの舞台を観衆は食い入るように見つめた。
 沖縄戦の組織的戦闘が終わった直後から、収容所では芸能の舞台が上演された。人々は空き缶で作った「カンカラ三線」を弾き心を慰めた。「命(ぬち)ぬ御祝事(ぐすーじ)さびら」(生き残った命のお祝いをしよう)と、漫談や歌、踊りを披露する慰問を行った芸人、小那覇舞天さんもいた。
 県民4人に1人が命を失い、首里城を含めた文化遺産が壊滅状態となっても、世代から世代へ受け継がれてきた無形の財産は、人々の中から消え去ることはなかった。
 伝統芸能の継承に関わる直接の関係者でなくても、沖縄のうたと踊りは、県民の何げない暮らしの場面、思い起こす風景の中に身近な存在として息づいている。豊年祭など地域の祭りや、学校の授業、クラブ活動などを通じて親しむ機会があったり、運動会でエイサー演舞をしたり。旧盆時期になればスーパーには民謡が流れ、夕暮れ時にはどこかの家から三線の音が聞こえてくる。
 うたと踊りの継承は、ことばの継承にもつながっていく。もっと知りたいと思う気持ちが出発点になる。

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捕虜収容所で上演された芸能の舞台=1945年7月8日

琉球歴史文化の日制定を祝して
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